Retun to HOME PAGE Retun to PHOTO HOME BACK NEXT

岸和田の自宅で初めて撮った写真

1953 〜 1955 頃
 2004年7月、何かの用事で古くからあるガラクタ箱を開けたらボルタ判のネガが1本出てきた。 写っている内容から、私の学齢前から小学校に入学した頃の岸和田の家で写したものだった。 この家は私の生家であるが、私が中学に入る頃には売却したので今は跡形もない。 再開発されて四軒の家になっている。 ちなみに土地は208坪あったが、当時のあのあたり、岸和田市小松里町、久米田駅の近くという山手の農村地帯では狭い方だった。
 それでも庭には蜜柑、甘柿、渋柿、無花果などの果実木があり、松や桜、梅、南天などの庭木もあった。 一画には竹藪もあってたくさんの雀が巣を作っていた。

 このネガは、記憶を辿れば中学生の頃に発掘した何本かを一緒くたにしてネガカバーにおさめたもので、ちょうど自分で写真のDPEをはじめた頃だ。 整理して置いておかねばと思たのだろう。 中学生なりに整理したのだろう、ノッチをネガサイドに打って順番に入っていた。 いま見直すと、この順番はおかしいが、敢えてその整理順に全部並べてみた。 元々はこの3倍以上のコマ数があったと思われる。

 撮影したカメラはスタート35というホビーカメラで、確か当時の価格は革ケースがついて500円だったと思う。 私が幼稚園にはいるのを機会に買ってもらったと記憶している。 親父の月給がまだ数千円の頃だったから、かなり高価なおもちゃを買い与えてもらったものだ。 親父は土木技術者で、隧道、橋梁が専門だったからほとんど奥地の現場生活をしており、家には月に1〜2回戻ってくる生活が当たり前の時代であった。 そのせいか、決して豊かな生活ではないが年に1〜2回はゼンマイ式蓄音機など結構高価なおもちゃをねだり、与えられた。

 このカメラで写真を撮ったのは小学校1年頃までで、撮ってから見るまでに時間がかかり、お金もかかり、たまたま手持ち現金の都合だろうか、できあがってる写真を母親が何日か遅れて受取にいったことがあった。 そんなこんなで次第に手にすることもなくなり、その後は日光写真で遊んでいた。 小学校3年の時に親父の転勤で盛岡に移り住んだが、その時点では全く忘れ去られていた。

 ちなみに、私の個人アルバムの最初のページにはこの中の何枚かが密着プリントで収まっている。 ここにネガのないだんじりの写真もあった。 今回ネガをスキャンしてみると、密着で何とか見られるレベルの写真であることがよく分かった。 私の一族は結構写真好きが揃っていたようで、私の伯父(父の兄)はキャノンのIVSbにコダクロームを詰めて撮っており、その映写会が何度か我が家で開かれた。 その影響か親父はキャノンのIIDを買い、後にIVSbを手にしていた。

私の父親。 35歳頃だが、いささかふけている。
家の門前で撮ったが、後ろに当時の家が見える。
私の母親。 25歳頃で、私の弟(次男)を庭で抱いている。 下の弟(三男)はまだ生まれていない。
同居していた私の小柄な祖母とお向いの優しいおばちゃん。 お向いの門前で撮ったが、敷地が400坪もあって庭には池もあった。 お向かいの築山探検と池でのフナ釣りが私の遊びの中心だった。 電話もここで借りていた。 お向いには間借りしていた私の友達一家が住んでいた。 祖母は1971年に86歳で亡くなった。 家に遊びに来ていた従姉と弟。 父親の年の離れた姉の娘なので、従姉とはいえもうお針子をして働いていた。 この頃は親戚との行き来も頻繁で、祖母もよく泊まりがけで遊びにいっていた。 お互いの家同士で家財の融通をしたりしていた。 従兄はシャープに勤めていて、部品を掻き集めてTVを作ってくれた。 そのTVを見に夕方には近所の人が集まってきていた。
この二人も従姉弟だが、母親の兄の娘と息子なので、私を挟んで1年違いで並んでいた。 伯父一家が転勤で関西に来たときに、家が決まるまで半年ほど私の家で同居していた。 この写真は当時の我が家の庭で撮ったもの。 庭といっても自然に任せたままのような有様なので、夏は蝉とりなどで走り回り、生傷は絶えなかった。
幼稚園に入る前で、まだ三輪車に乗った私。 多分この写真がこのカメラで撮った最初の1本だろう。 1953年頃。 後ろの左手は大きめの物置で、その手前に井戸があった。 この家を出るまでここには水道は通じていなかった。 お風呂(画面右手)に水を張るのは井戸からバケツで運んでいた。 台所で飯を炊くのはへっついさんに乗せた釜であった。 家の門前で弟と私。 この写真がこのカメラで撮った最後のネガだと思う。 弟はもう三輪車に乗っており、私は生意気に自転車に乗っている。 1955年、ちょうど三男坊が生まれた頃だ。 下の弟が生まれた日は私の遠足の日で、祖母が大慌てでおにぎりを作って送り出してくれた。 帰ってきたら産まれていた。

inserted by FC2 system